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紫式部の娘“賢子”
賢子の父親は誰 ?
ドラマ「光る君へ」では、賢子は紫式部“まひろ”と藤原道長の娘という設定ですが、実際には紫式部の夫、藤原宣孝の娘です。
「かたこ」と呼んでいますが、本来は「けんし」あるいは「かたいこ」という呼び名だろうと推測されています。
宣孝は、年をとってからの子である賢子を大層可愛がりましたが、残念ながら、賢子が3歳の時に流行病で亡くなってしまいました。
文才は母譲り、性格は父譲り
母、紫式部は気難しく行動は慎重でしたが、娘の賢子は正反対。
明るくて大胆な性格でした。
夫の赴任地、太宰府(福岡)まで2回も往復したそうです。
新幹線も電車も車すらない平安時代、長旅は命懸けでした。
陽気で豪放磊落な父、宣孝に、賢子の性格は似たのでしょう。
宣孝の性格がよく分かるエピソード「御嶽詣」があります。
「御嶽詣」については、こちらをお読みください。
賢子は母とは性格が違っても、文才は受け継ぎました。
優れた歌人で、「大式三位」の名前で百人一首にも選ばれています。
有馬山の麓、猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと鳴ります。
「そよそよ」という音のように、「そうよ !」 どうして貴方のことを忘れたりするものでしょうか。
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
『源氏物語』は全部で54帖ありますが、最後の10帖は宇治が舞台となり「宇治十帖」と呼ばれています。
この「宇治十帖」に関して、紫式部が作者ではない…という説があります。
文体が違ったり、登場人物の役職が逆戻りしていることが理由です。
もしも、紫式部ではないとすれば、誰が書いたのでしょうか ?
母譲りの文才から、「賢子」が書いたという説が有望となっています。
賢子は恋のアバンチュールが お好き
「光る君へ」第40回、賢子は裳着の儀、いわゆる成人式を迎えました。
この頃は、賢子は母のように宮中の女房になることを拒んでいましたが、叔父の惟規からは「宮仕をしたら、高貴な男たちが よりどりみどり」と言われていました。
賢子は10代終わり頃、女房として宮中へ参内し、皇太后となった彰子に仕えます。
朗らかな性格で、機転の効いた洒落た和歌を詠む賢子は、とてもモテたそうです。
藤原道長の次男の頼宗、藤原公任の長男の定頼など、次々と高貴な男性たちとの恋愛を楽しみました。
藤原公任の長男、定頼との恋の贈答歌が、『新古今和歌集』に載っています。
逢えない あなたを思いながら梅の花を見ていたのに、その花が散ってしまった後は、慰めるものが何もありません。
見ぬ人に よそへて見つる 梅の花 散りなむのちの なぐさめぞなき 藤原定頼
春が来るごとに 心惹かれていた あの梅の枝に、誰が気まぐれに袖を触れ、残り香を移したのでしょうか。
春ごとに 心をしむる 花の枝に たがなほざりの 袖かふれつる
大式三位(賢子)
母、紫式部より出世した賢子
賢子は藤原兼隆と結婚し、出産します。
藤原兼隆は道長の兄、道兼の息子です。
賢子は親仁親王の乳母となったため、夫と疎遠となり離婚しますが、その後、高階成章(太宰府の受領)と再婚しました。
親王が即位すると(後冷泉天皇)、賢子は典侍という女官のトップの地位を授かります。
位階は従三位、中流貴族の出身としては異例の出世でした。
退官してからは、再婚した夫の財産のおかげで豊かに平穏な人生を送り、83歳まで長生きをしたそうです。
梅文様と立涌文様
光源氏の梅
梅の良い香りが漂ってくると、『源氏物語』の中で光源氏が話したことを思い出します。
花は梅のように匂ってほしいものです。
梅の香りを桜に移したら、他の花は見向きも されなくなるでしょう
花と言はば、かくこそ匂はまほしけれな。桜に移しては、また塵ばかりも心分くる方なくやあらまし。
『源氏物語』若菜上の巻
梅文様
賢子は裳着の儀で十二単衣を着ました。
一番上に着た唐衣は、豪華な絹。
地紋は「梅立涌文様」でした。
「光る君へ」第33回で、自分の内に閉じこもっていた彰子が、初めて心を開き“まひろ”に伝えた言葉は「空の青い色が好き」。
“まひろ”は道長に、そのことを伝えました。
やがて、道長の長女、彰子は皇子を産み、衣装は空色の梅文様となりました。
賢子の裳着の衣装の絹は、道長が贈ったものです。
同じ梅文様でした。
梅文様
寒い冬を経て、一番最初に咲く梅の花。
百花の魁と称されています。
その力強さ、めでたさから、梅文様は吉祥文様として好まれています。
梅の「うめ」の音は「産め」に通じることから、文様には「子孫繁栄」「安産祈願」の願いが込められてます。
立涌文様
立涌文様
立涌文様とは、写真のように、半円を描きながら縦に走る曲線を向かい合わせたものです。
蒸気が湧き立つ様子、あるいは、雲が立ち昇る様子を表しています。
「雲」の音読み「ウン」が「運」に繋がるため、運気が昇る おめでたい文様とされています。
膨らんだ部分に、梅・藤・雲など色々な文様を組み合わせることのできる楽しい文様です。
松皮菱(まつかわびし)文様 〜〜「光る君へ」藤原宣孝の衣装より
藤原宣孝は紫式部の20歳も年上の夫。世渡り上手で財を成しました。紫式部にとって結婚した頃が一番幸せだったと言われてますが、わずか3年で宣孝は病死。この寂しさを埋めるため、式部は物語を書き始めました。
宣孝の衣装の地紋は「松皮菱文様」です。
撫子(なでしこ)文様 〜〜「光る君へ」彰子の衣装より
中宮 彰子は、わずか11歳で天皇の妃となります。無表情で無口、内気すぎる性格で帝を戸惑わせますが、やがて賢后と崇められるほどに変貌を遂げます。「光る君へ」での衣装は撫子文様です。