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ここから『源氏物語』が始まった
日本一大きな湖、琵琶湖。
湖の形が 楽器の琵琶に似ていることから、その名がついたと言われています。
琵琶湖のある近江(今の滋賀県)には、優れた風景を8つ選んだ「近江八景」があります。
そのひとつ「石山の秋月」は、奈良時代に創建された石山寺から見える秋の月のことです。
石山寺の参道を歩くと、大きな岩が現れ圧倒されます。
全国でも珍しい珪灰石でできた岩です。
珪灰石の山の上に 石山寺は建っています。
平安時代、貴族の女性に大人気のお寺でした。
観音様がなんでもお願い事を叶えてくださると信じられていたのです。
女性たちは日中お経を唱え続けます。
そうすると夜、夢の中で観音様がお告げをくださるのだとか。
石山寺に伝わる『石山寺縁起絵巻』によりますと…
紫式部は、仕えていた中宮彰子から「新しい物語を書いてほしい」と頼まれ、面白いアイデアが浮かぶよう石山寺にて7日間の参籠※をしたそうです。
※寺院などに一定期間籠って祈願すること
最後の夜は十五夜の名月でした。
琵琶湖に映る満月の美しさへの感動が、『源氏物語』という壮大な物語の一節へと筆を走らせそうです。
余談ですが、大学の卒業論文で『源氏物語』をテーマに書くときには、石山寺に詣でると合格するというジンクスがあリます。
石山寺『源氏の間紫式部御人形』
紫式部が大切に思った女友達
紫式部と最も仲の良かった女性は平維将の次女、日記には「筑紫へ行く人のむすめ」と記されています。
ドラマでは“さわ”という名で登場していました。
実際には紫式部には姉がいて、若い時に亡くなってしまいます。
ちょうどその頃、平維将の次女(さわ)も妹を亡くしていたことから、2人は姉妹のようになろうと約束をしました。
やがて、平維将の娘は父の赴任に伴い筑紫へと下ります。
寂しがる友に送った和歌が『紫式部集』に載っています。
あなたにお会いしたいと思う私の心。
あなたがいる松浦の鏡神社の神様が、きっと空から私の心をご覧になっていることでしょう。
あひみむと 思ふ心は 松浦なる 鏡の神や 空に見るらむ 『紫式部集』
『源氏物語』の「玉鬘の巻」には「松浦の鏡の神」が出てきます。
『源氏物語』の肥前の場面は、平維将の娘との手紙のやり取りから知識を得たとされています。
友との親交が『源氏物語』に深みを与えてくれたのです。
紫式部には他にも多くの女友達がいて、彼女たちの心が折れそうになると励ましの和歌を送っていました。
そんな優しさが『紫式部集』を紐解くと感じられます。
紫式部は物語を書いては女友達に見せていました。
やがて それらは評判を呼び、中宮彰子への宮仕え、『源氏物語』の執筆へと繋がっていくのでした。
暗闇では顔が見えない‼️
『源氏物語』での人違い
光源氏は人妻“空蝉”と契りを結びます。
空蝉は光源氏に惹かれつつも身分や立場の差を思い、彼と恋に落ちれば苦しむのは必然、せめて自分の誇りを守るために光源氏を拒み続けます。
若い光源氏は拒まれるほどに恋心が募り、ある夜、空蝉の屋敷に忍び込みます。
たまたま、義理の娘(軒端の荻)が遊びに来て、空蝉と一緒に寝ていました。
源氏の気配に気づいた空蝉は、そっと寝床から抜け出します。
暗がりの中、源氏は空蝉と思い 軒端の荻を抱き寄せて、空蝉ではないと気づくのでした。
ドラマ「光る君へ」での人違い
「光る君へ」第15話では“まひろ”と“さわ”が石山寺に参詣します。
そこには藤原道綱とその母“寧子”も来ていました。
道綱の母は当時有人気のあった『蜻蛉日記』の作者で、まひろは本人に会えたことに感激します。
その様子を見た道綱はまひろを気に入り、寝床に忍び込みます。
道綱は感違いをして さわを抱きしめ、まひろではないと気づき、謝る場面がコミカルに描かれていました。
幸菱文様
“さわ”が着ている朱色と金色の華やかな衣装の文様は幸菱文様です。
幸菱文様
唐花※を菱形にしたモチーフを「花菱」と呼びます。
※ 空走上の花
大小さまざまの「花菱」などを組み合わせて、大きな菱形にした文様を「幸菱文様」と呼びます。
とても豪華な文様です。
隣同士の菱形の角と角が離れるように、少し間をおいて配置したことから、先間菱「さきあいびし」と呼ばれました。
その後、縁起がいいよう 音が似ている「幸」の字に変え、幸菱「さいわいびし」と呼ばれるようになったそうです。
唐花菱(からはなびし)文様 〜〜「光る君へ」高階貴子の衣装
中宮定子の母“高階貴子”は学識が高く、とても賢い女性でした。貴子と藤原道長の兄“道隆”は、平安時代には珍しい身分の差を超えた恋愛結婚をしました。“貴子”の衣装の文様は「唐花菱文様」です。