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中宮 定子
華やかな後宮サロン
一条天皇の中宮 定子はとても魅力的な女性でした。
美しさは父親譲り、賢さは母の教育の賜物。
定子のところには、夫の一条天皇をはじめ貴族たちが訪れ、自然と後宮サロンができました。
後宮サロンとは、中宮が主催する和歌や音楽など文化的な集いのことです。
漢文や和歌など教養が高く、打てば響く知性、明るい性格でセンスも良くて…
清少納言は『枕草子』の中で、様々なエピソードを紹介しつつ定子を絶賛しています。
定子の存在こそが、1000年も受け継がれる素晴らしい随筆『枕草子』を誕生させました。
『枕草子』について詳しくは、こちらをお読みください。
栄華から転落へ
栄華を極めた定子ですが、入内※後 わずか5年も満たないうちに関白の父が病死、それからは転落の一途を辿ってしまいます。
※ 中宮や皇后になる女性が正式に宮中に入ること
後ろ盾となるはずの兄達は政治力が乏しく、好き勝手な性格ゆえ人望もありません。
彼らは女性をめぐる勘違いから花山院に矢を放つ事件(長徳の変)を起こしたり、女院 詮子(一条天皇の母)を呪詛した疑いをかけられたりで、失脚しました。
定子は失意のあまり髪を切り、出家をしてしまいます。
ですが、一条天皇の定子への愛情は続き、定子は3人の御子を産みました。
出家をした身で出産したことが、世間の反感を買ってしまいます。
後見者のいない定子のお世話をする上流貴族もなく、お産の里下りは あまり豊かではない中流貴族を頼るという屈辱を味わいました。
哀しくも、彼女は3人目のお産時のトラブルで一生を終えてしまいます。
わずか24歳、絶頂からどん底へ。
浮き沈みの激しい人生を終えた定子でした。
源氏物語の再現
ドラマ「光る君へ」
一条天皇は定子を溺愛し、他の妃には目もくれません。
やがて政治は疎かになり、結果、大雨による甚大な被害を防ぐことができませんでした。
(実際の一条天皇は、定子に溺れてはいましたが、ちゃんと政務を行いました)
『源氏物語』は、同じような場面から物語が始まります。
どの帝の時代のことでしょうか。
女御や更衣(帝の妻たち)が多くいらっしゃる中で、それほど高い身分ではないけど、誰よりも帝のご寵愛を受けていらっしゃる方がおりました。
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
桐壺帝(光源氏の父)は桐壺更衣(光源氏の母)を偏愛します。
桐壺更衣の身分は低く、有力な後見者もいません。
桐壺更衣ばかりを愛する帝は、「楊貴妃の例」※を引き合いに出され批判を受けます。
※ 唐の玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛しすぎたあまり、政治が乱れ叛乱が起きた
桐壺更衣は他の妃たちからひどい虐めを受け病気がちとなり、光源氏が3歳の時に亡くなってしまうのでした。
この当時の天皇の一番大切な使命は、天皇家を絶やさぬため後継する皇子を多く作ること。
1人の女性ばかりを愛することはタブーでした。
向蝶丸文様
ドラマの中での定子は華やかな衣装を3枚着ていました。
写真の中央の金色の衣装は、中宮として全盛期の時のもの。
「煌びやかな装束に莫大な費用がかかっている」と、道長にため息をつかせるほど豪華な衣装でした。
写真左は入内した頃、右は出家後で、共に「向蝶丸文様」です。
向蝶丸文様
2匹の蝶が向かい合って、丸く円を形どる文様です。
蝶は不思議な虫です。
いも虫や毛虫から蛹に。
なんと蛹の中身は液体。
やがて美しい蝶へと変身。
この神秘な現象から、蝶文様には不老不死・再生の願いが込められました。
同じ文様探し
平安時代、貴族の女性に愛された文様です。
「光る君へ」でも女房たちなど多くの人が、この文様の衣装を着ていました。
まひろが五節の舞を踊った時の衣装です。
藤原道兼(道長の次兄)は一族の汚れ役を1人で引き受けたのに、父の後継者となれなかったことに絶望し、藤原公任の家に居座り酔い潰れます。
その時、羽織っていた衣装が女物の向蝶文様でした。
この衣装は、藤原実資(演者、ロバート秋山さん)の後妻婉子の衣装と同じ色と地紋でした。