乱れ菊文様 〜〜「光る君へ」藤原娍子の衣装より

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藤原すけ

美しく 最も愛された妃、娍子すけこ

藤原娍子すけこは三条天皇(居貞いやさだ親王)の妃、とても美人と評判でした。
娍子の父“藤原済時なりとき”は大納言で、あまり高い位ではありませんでした。

政治的には弱い立場の娍子でしたが、三条天皇の4人の妻の中で最も愛され、6人の子供に恵まれました。

長男“敦明あつあきら親王”を産み、皇子の誕生を喜んだのも束の間、翌年に父“済時なりとき”が流行病で亡くなり、後見者が いなくなってしまいます。
三条天皇の娍子すけこへの愛が傾いたときがありました。

中宮・定子の妹“原子げんし”を妻に迎えた時です。
原子は定子に似て華やかで、現代風の女性でした。
しかし、原子は22歳の若さで亡くなってしまいます。
元気だったのに、鼻と口から血を出して突然死したことから、毒殺が疑われました。
娍子すけこか、娍子に使える女房が犯人と噂されましたが、結局、あやふやなまま事態は収束してしまいます。
道長の娘“妍子きよこ”を中宮に迎えた時も、娍子すけこは寂しい思いをしました。
妍子きよこは三条天皇より18歳も年下。
ドラマでは道長が「三条天皇が妍子きよこを訪れない」と嘆いていましたが、『栄花物語』によれば足繁く通っていたそうです。
妍子きよこが男子を産めば、自分の血筋は確実に天皇になれるという目論見もくろみ
父“道長”と母“倫子”が妍子きよこのためにしつらえた豪華な調度品の数々、大勢の美しい女房、その華やかさが三条天皇をきつけました。
三条天皇が妍子きよこの元に通うとき、娍子すけこは天皇の衣装の香をくなど、まめまめしく支度をしたそうです。
『源氏物語』若菜上の巻にも同じような場面が出てきます。
光源氏は兄帝の申し出を断れず、その皇女“女三の宮”を正妻に迎えます。
15歳も年の差がありました。
正妻の座を奪われた紫の上でしたが、女三の宮に通う光源氏のお召し物に一層念入りに香を焚きしめながら、物思いに沈んでいます。
そんな紫の上を見て、光源氏は紫の上を苦しめている自分を情けなく思うのでした。

孤独な皇后

三条天皇と道長との関係は、だんだん悪化していきます。
天皇は、道長の娘“藤原妍子きよこ”を中宮とする代わり、立場の弱い娍子すけこを皇后とする駆け引きをしました。
敦明あつあきら親王を東宮にするため、母である娍子すけこに力を持たせようと考えたのです。
しかし、娍子すけこ立后りつごうには、わずか4人の公卿くぎょうしか集まりませんでした。
公卿たちは、娍子すけこには後見者がいないこと、そして勢力を誇る道長に遠慮したからでした。
寂しい儀式でした。
三条天皇は在位5年も経たない時に、視力・聴力を失い、譲位じょういを迫られます。

天皇は長男“敦明あつあきら親王”を東宮にすることと引き換えに、道長の孫“後一条天皇”に譲位じょういしました。

まもなくして、三条天皇は亡くなってしまいます。

子を思う娍子すけこの心、穏やかならず

三条天皇の亡き後、娍子すけこは6人の子供達の行く末を楽しみに、また心配をしながら過ごしました。
長男“敦明あつあきら親王”は、自分に後見者がいないことを憂い、東宮(皇太子)の座を降りてしまいました。
娍子すけこは、三条天皇の御継おつぎが途絶えてしまったことを嘆きます。
東宮が自ら その座を降りることは、異例でした。

道長も良心の呵責かしゃくは感じていたのでしょう。
敦明親王を特別に上皇扱いとしました。
その後、敦明親王は公卿くぎょうとなり、政治の世界での重鎮となりました。
長女の当子内親王とうしないしんのうは、父帝の即位に伴い、斎宮さいぐうとして伊勢に下りました。
父帝の譲位後、都に戻りますが、父を激怒させてしまいます。
藤原伊周これちかの息子、道雅みちまさと恋仲になってしまったためでした。

道雅との別れを父から強要され、失意の当子内親王は17歳で出家し、娍子を悲しませます。
三条天皇は譲位を迫られていた時、道長と親戚関係になるべく、次女の禔子内親王ただこないしんのうと道長の長男“頼通よりみち”との婚姻を提案しました。
しかし、頼通は内親王と結婚すれば、愛妻の隆姫たかひめが本妻でいられないことを危惧し拒否します。
その後、頼通は謎の病に倒れてしまいました。
(ドラマでは仮病という設定でしたが) 三条天皇はあきらめざるを得ませんでした。

父帝亡き後、禔子ただこ内親王は道長の五男“教通のりみち”の妻となりますが、子供には恵まれませんでした。
四男“四の宮”は たった7歳のときでした。
兄“敦明親王”への周囲の冷たい態度に嫌気がさし、自らの意思で出家してしまいます。

娍子すけこは53歳で病により生涯を終えますが、そのお葬式は“四の宮”のおかげで盛大に行われたそうです。
さらに、四十九日の法要は子供達の関係者など、大勢の人が参加したとのこと。
皇后になる儀式、立后の儀は参列者が少なく淋しく行われたことを思いますと、しみじみと感じるものがあります。

みだれ菊文様

菊文様といえば、皇室の「菊花紋章」が有名です。
吉祥のおめでたい文様です。

菊にまつわる有名な故事「菊水伝説」があります。
中国の長江ちょうこうという川の上流に菊が群生していました。
菊の花から落ちた露が川を流れ、その川の水を飲んだ村人たちはとても長生きをしたとか。
菊は「仙花せんか」と呼ばれ、薬効があると言われています。
菊文様には延命長寿、無病息災、邪気払いの意味があります。
みだれ菊文様
菊には様々な文様がありますが、その一つが「乱れ菊」です。

細長い花びらが咲き乱れる図柄で華やかな文様です。
長寿・繁栄の願いが込められています。
娍子すけこが皇后になる前、東宮妃だった時の衣装も菊文様でした。
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