雲文様 〜〜 大河「べらぼう」朋誠堂喜三二の衣装より

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いくつもの名と顔をもつ男

武士“平沢常富ひらさわつねとみ”として

当時の大名は参勤交代のため、1年ごとに領地に戻り、江戸を留守にしていました
そこで、江戸に常駐し、幕府からの指示や各藩との渉外(外交)を行う「江戸留守居るすい役」が必要となりました。

平沢常富は出羽・秋田藩の江戸留守居役でした。

吉原の馴染なじみ客“宝暦ほうれきの色男”として

江戸留守居るすい役は、各藩との渉外のため、情報交換を行うことも重要な仕事でした。
その情報交換の場に吉原の妓楼ぎろうが使われていました。

平沢常富も足繁く吉原に通い、自らを「宝暦ほうれきの色男」と名乗っていました。

流行作家“朋誠堂 喜三二ほうせいどう きさんじ” または“道陀楼 麻阿どうだろう まあ”として

常富つねとみは副業として、藩には内緒で作家としても活躍していました。
朋誠堂 喜三二ほうせいどう きさんじの名前には「せど気散きさんじ」…たとえ干上ひあがったとしても気楽という意味が込められています。

黄表紙きびょうし親敵討腹鞁おやのかたきうてやはらつづみ』を鱗形屋うろこがたやから出版し、人気作家となります。
※ 洒落や風刺を楽しむ挿絵入りの物語

また常富は、“道陀楼 麻阿”どうだろう まあという名で洒落本しゃれぼんなどの笑い話本を書いていました。
“どうだろうまぁ”は常富の口癖くちぐせ
気を張らず物事を楽しむ彼の姿勢が名に表れています。

狂歌師きょうかし手柄岡持てがらのおかもち”として

商業重視の自由な気風だった田沼意次おきつぐの世から、質素節約を重視した松平定信まつだいらさだのぶの世(寛政かんせいの改革)に変わると、黄表紙本は取り締まりを受けました。
常富は作家を辞め、狂歌師きょうかしとしての活動に専念します。
狂名は“手柄 岡持てがらのおかもち”でした。

彼は78歳でこの世を去りました。
辞世の狂歌です。
狂歌よむ うちは手柄の 岡持ちよ よまぬだんでは 日柄のぼた餅

雲文様

ドラマで常富が着ている衣装は「雲文様」です。
雲は変幻自在に形を変えます。
その時その場で名を変え肩書きも変える常富を、象徴しているようです。
雲文様
恵みの雨をもたらす雲。
古代の人々は、雲に神が宿っているとか仙人が住んでいると考えていました。
そのような雲を図案化した雲文様は吉祥文様です。

その時々で形を変え、繰り返し姿を現す雲は、占いの対象ともなりました。
雲文様には「開運」や「輪廻転生」の意味があります。
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