桐竹鳳凰麒麟文様 〜〜「光る君へ」藤原行成の衣装より

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藤原行成ゆきなり

藤原行成ゆきなりは愛すべき人物。
歴史に残る名筆家で、苦労人で、女性にモテて、真面目で、政治家としても優秀でした。

行成が女性にモテた理由

行成は、とても字が上手でした。
平安時代中期の書道の名人3人「三蹟さんせき」のうちの1人でした。
この時代、字が上手な事はモテる条件の一つでした。
女性たちは行成の書を欲しいために恋文を送りました。
あまりに沢山の手紙が届き、律儀りちぎな行成は返事を書ききれず困惑していたとか。
写真「光る君へ」第23話より

行成は苦労人

行成は幼い頃に父と父方の祖父を亡くしてしまいます。
母方の祖父の援助を受けながら勉学に励みました。
貴族社会では父親がいない場合、昇進することができません。
けれど、幸運にも、行成24歳のとき転機が訪れます。
道長の義兄の源俊賢みなもとのとしかた蔵人頭くろうどのとうという、いわば朝廷の花形の役職についていました。
俊賢は昇進するにあたり、後任に まだ位の低かった行成を推薦したのです。
[後ろだてのいない不遇、それを乗り越えようとしている勤勉さ]
きっと、自分を重ね合わせたのでしょう。
 俊賢について詳しくはこちらをお読みください。
行成は一生、俊賢への恩を忘れなかったそうです。
行成は、『枕草子』の作者、清少納言と親交がありました。
時には、絶交ぜっこうをしてしまうほどの喧嘩けんかもした仲でした。
ある時、行成は珍しいお菓子に手紙を添えて、清少納言に贈ります。
手紙は、美しい仮名で書かれていました。
中宮定子は「素晴らしい筆跡」とおめになり、手紙をご自分のものに してしまいました。
御前に御覽ぜさすれば、「めでたくも書きたるかな。をかしうしたり」などほめさせたまひて、御文はとらせ給ひつ。
『枕草子』
ちなみに、百人一首に選ばれている清少納言の歌は、行成との機知に富んだ和歌のやり取りの中の一首です。
夜をこめて 鳥の空音そらねは はかるとも よに逢坂の 関は許さじ
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても、そんな嘘は通用しません。
あなたと私を隔てている逢坂の関は、許しませんことよ。

行成は働き者

行成の役職、蔵人頭くろうどのとうは、帝の秘書の様なもの。
主な仕事の一つに、貴族たちの意見や願いを帝に伝える役目があります。

行成が残した日記『権記ごんき』を紐解ひもとくと、
長保3年(1001) 2月。
この月は一日も休みなし、毎日あちらこちら飛び回っていました。
移動した記録の ほんの一部を抜粋ばっすいします。
 2日  自邸→藤原懐邸→藤原道長邸→中務省→藤原公季邸→自邸
3日  自邸→内裏→道長邸→東三条院→一条院→東三条院→自邸
5日  自邸→道長邸→内裏→道長邸→東脘→藤原兼隆邸→藤原顕光邸→內裏宿直
30日  自邸→内裏→弾正宮→道長邸→覚慶宿所→平惟仲邸→藤原時光邸→藤原斉信邸→源俊賢邸→自邸

道長からの信頼

藤原道長を支えた公卿くぎょう4人を「四納言しなごん」と呼びます。
その中で一番年若かったのが藤原行成です。
道長は権力を強固なものにするため、入内じゅだいした娘の彰子を中宮(天皇の妃)にしようと画策かくさくします。
定子は出家したとはいえ まだ中宮だったため、定子を皇后に、彰子を中宮にと考えます(一帝二后いっていにごう)。
名称が違っても、帝の妃が2人いることとなってしまい、前例はありません。
定子を深く愛していた一条帝は定子への遠慮から、彰子を中宮にすべきか、気持ちが揺れていました。
蔵人頭の行成は、帝の説得にあたります。
「光る君へ」第28話でも再現されていました。
「中宮様が御出家なさって以来、神事しんじを御つとめになる お妃がおられません。なすべき神事がなされぬは神への非礼。このところの大水、地震などの怪異は神のたたりではないかと私は考えます」
行成の説得がこうそうし、一条天皇は彰子を中宮とするみことのりを下しました。
行成にとても感謝した道長は、行成と子供達の将来を約束しました。

年が経ち、万寿4年(1028)12月4日、偶然同じ日に道長と行成はこの世を去りました。

桐竹鳳凰麒麟きりたけほうおうきりん文様

桐竹鳳凰麒麟きりたけほうおうきりん文様
名の通り、桐と竹と鳳凰ほうおう麒麟きりんの図柄の文様です。
天皇だけがお使いになれる文様です。

鳳凰ほうおうは想像上の瑞鳥ずいちょう
徳の高い帝が天下を治めると現れるという言い伝えがあります。
鳳凰はの木にんでいます。
普段は何も食べず、唯一、が100年に1度だけ咲く花から成る実を食べます。
麒麟きりんは想像上の瑞獣ずいじゅう
帝が仁をもって天下を治めると現れるという言い伝えです。

元々の文様は麒麟がなく、桐・竹・鳳凰でしたが、一条天皇の時に麒麟も加わったそうです。
写真左は、令和の御即位の時(即位礼正殿せいでん)の天皇陛下です。
右は「光る君へ」での彰子立后りつごうの儀式の時の一条天皇です。

天皇陛下がお召しになっていた衣装は「黄櫨染御袍こうろぜんごほう」。
儀式の際に、天皇だけがお召しになれる色「黄櫨染こうろぜん」と文様「桐竹鳳凰麒麟」です。

黄櫨染こうろぜん」は赤みがかった黄色で、太陽の色を象徴していると言われています。
平安の時代から現代まで、1000年以上も文様の伝統が続いている日本の素晴らしさを感じます。

帝だけが着ることのできる衣装を、行成は許されていた。

「光る君へ」では行成が「桐竹鳳凰麒麟」の文様の衣装(ほう)を着ていました。
色も麹塵きくじんという青みがかった緑色。
黄櫨染こうろぜんと共に帝のみが着ることのできた色でした。

特別な文様と特別な色の衣服を着ることを許された行成。
帝からの信頼が厚かった証拠でした。
一条天皇の父、円融天皇から許されて、藤原実資も同じ衣装を着ていました。
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