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平安時代には珍しい、身分を超えた恋愛結婚
高階貴子は、藤原道隆(道長の長兄)の妻で中宮・定子の母です。
中流階級の貴子は、若い頃は天皇に使える女官でした。
名高い学者の父の影響を受け、当時の女性としては珍しく漢学(唐の学問)に精通し、今で言えばキャリアウーマン、宮中でも一目置かれる存在でした。
美男子で気配り上手、女性に人気の藤原道隆が貴子に恋をします。
百人一首に選ばれている貴子の歌から、道隆との愛の強さが感じられます。
「決して忘れない」という言葉が、未来永劫変わらないことは無理でしょう。
それならいっそのこと、今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに。
忘れじの ゆく末までは かたければ 今日をかぎりの いのちともがな
道隆は上流貴族、貴子は中流貴族。
この時代、上流貴族の結婚は上流貴族どうしの政略結婚が当たり前でしたが、貴子に ぞっこんだった道隆は貴子を正妻にします。
「美しく教養の高い娘を育て、帝と結婚させる」
道隆は、そんな出世を野望を抱き、貴子の賢さを必要としたのかもしれません。
娘の定子は貴子から中宮になるための教育を受けて育ち、後宮で華やかな文化サロンを築きました
貴子は『源氏物語』に登場する女のモデル
『源氏物語』の有名な場面「雨夜の品定め」では、雨の降り続いたある夜、若い貴公子たちが自分の女性経験を告白し、恋愛談議に盛り上がります。
そこで話題となった女性の一人が「かしこき女」です。
彼女は文章博士※の娘で とても賢い人でした。
※ 大学寮(貴族の若者が行く宿舎つきの学校)の教官のこと
夫が恥をかかないように、相談相手となってくれたり、役所勤めに必要な学問を教えてくれたりしました。
しかし、夜中に目が覚めた時でも教えようとするので、だんだん気が引けるようになりました。
ある夜、久しぶりに訪ねていくと、「風邪をひいてしまい薬としてニンニクを食べたので、臭くて会えません」と言います。
彼女から すごい匂いが漂ってきたので逃げ帰ってしまい、それきり関係が途絶えました。
何とも酷い話ですが、高階貴子は、この「かしこき女」のモデルと言われています。
唐花菱文様
貴子が着ていた青い衣装の文様は「唐花菱文様」です。
唐花菱文様
唐花菱とは、花びらの先端を尖らせて 菱形にした文様です。
菱形の形は、古来より特別な形でした。
菱とは「ヒシ」という植物で、葉と実の形から その名をつけて、「菱形」と呼ぶ様になりました。
ヒシは繁殖力が強く、その実は胃腸の機能を補ったり、滋養強壮の薬効があります。
そこで、菱形の形にも子孫繁栄や無病息災の力が宿っていると信じられていました。
ひな祭りで菱餅を飾るのも、その力にあやかるためです。
写真 菱の葉と実
幸菱(さいわいびし)文様 〜〜「光る君へ」 さわの衣装
紫式部には女友達がたくさんいました。特に仲の良かった女性が、ドラマでは“さわ”として登場しました。彼女は『源氏物語』に影響を与えます。“さわ”の衣装の文様は「幸菱文様」です。