花喰鳥文様 〜〜 「光る君へ」和泉式部の衣装より

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和泉式部いずみしきぶ

自分の心に素直だった和泉式部

和泉式部いずみしきぶは恋多き女性として、伝えられています。

彼女は いつも自分の心に素直すなおでした。
恋愛も和歌も。
くちさがなくも、和泉式部の恋愛遍歴へんれき列挙れっきょしますと
  • 橘 道貞たちばなのみちさだ 和泉守いずみのかみ(現在の大阪の受領ずりょう)と結婚
  • 為尊ためたか親王 冷泉院れいぜいいん皇子みこと不倫 皇子は流行病で亡くなる
  • 敦道あつみち親王 為尊ためたか親王の弟皇子  病で亡くなってしまう
  • 藤原 保昌ふじわらのやすまさ 丹波守たんばのかみ(京都)と再婚
  • 他にも何人もの貴族とうわさあり
和泉式部は中流貴族の出身でしたが、高貴な男性が夢中にならずには いられない魅力的な女性だったようです。
和泉式部の奔放ほんぽうな恋愛を揶揄やゆして、藤原道長は彼女の扇に「浮かれの扇」と いたずら書きをしました。
和泉式部も負けてはいません。
痛烈つうれつな和歌を書いた扇を道長に渡して、応酬おうしゅうしました。
男女の逢瀬おうせの関を越える人もいれば、越えない人もいます。
あなたは関守せきもりでもないのだから、とがめないでください。

越えもせむ 越さずもあらん 逢坂の
  関守ならぬ 人なとがめそ

色っぽい和歌

和泉式部の和歌は、とても情熱的。
黒髪が乱れてしまうのもかまわずに横になっていると、この黒髪を初めて かきでてくれた人が恋しい。

黒髪の 乱れも知らず うち臥せば
 まづかきやりし 人ぞ恋しき

与謝野晶子よさのあきこの歌集『みだれ髪』のタイトルは、この歌から名付けられました。

平安時代の女性がモテる条件は、髪が豊かで長く美しいこと、ふくよかなこと、衣装の色の組み合わせなどセンス
がいいこと、そして何より和歌が上手なこと。
和歌が上手というのは、『古今和歌集』を暗記し、そこに歌われている語句と感情をたくみに取り入れて、自分の和歌として詠むことでした。
和泉式部は、和歌のところどころに教養を感じさせ、情感たっぷりに詠んでいます。
そんな彼女の歌は、男性たちを愛のとりこにしたのでしょう。
紫式部は、和泉式部について男性関係などは感心できないけれど…としながらも、和歌については こんな風に評価しています。
和泉式部の和歌は とてもすばらしい。
古歌を暗記し、言葉の決まりなどをよく理解して、正式な歌の詠み方ではないけれど、口からふと出てくる言葉に必ず魅力のある一節があり、目をひく詠みぶりです。
歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、うたのことわり、まことの歌詠みざまにこそはべらざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠みそへはべり。
『紫式部日記』

敦道あつみち親王しんのうとの激しい恋

『和泉式部日記』は、和泉式部と敦道あつみち親王との恋を記した日記です。
嫉妬しっと躊躇とまどい、不安、激しい恋情。
2人の揺れ動く感情を、交わし合った多くの和歌と共に描いています。
日記は、敦道親王の兄、為尊ためたか親王が流行病で急死した1年後、まだ 和泉式部が落ち込んでいる場面から始まります。
為尊親王に仕えていた少年が会いに来ました。
「今は弟の敦道親王に仕えていて、この花を渡すように言われました」とたちばなの花を差し出します。
橘の花には、こんな古歌と意味があるのです。
五月を待って咲くたちばなの花の香をかげば、なつかしい人の袖の香を思い出す。
五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする
『古今和歌集』
和泉式部は、この歌にちなんだ和歌を敦道親王に送りました。
いただいた橘のかおる香りで、亡き兄宮様を忍ぶよすがにするよりは、時鳥ほととぎすの声(貴方の声)が兄宮様と同じ声なのかどうか聞いてみたいものです。
薫る香に よそふるよりは ほととぎす 聞かばや同じ 声やしたると
『和泉式部日記』
こうして2人の激しい恋は始まりました。
けれど、わずか4年後に敦道親王も病死してしまいます。
和泉式部は喪に服している間に、『和泉式部日記』を書き、その後、紫式部と同様、中宮“彰子”の女房になりました。
※ 作者は和泉式部ではなく藤原定家という説あり

花喰鳥はなくいどり文様

「光る君へ」での あかね(和泉式部)の衣装は「花喰鳥文様」でした。

これは、和泉式部と敦道親王との恋の始まりの和歌…橘の花と時鳥ほととぎすに由来しているのでしょうか?
花喰鳥はなくいどり文様
鳥が花やリボンなどをくわえている文様は、古代オリエントやササン朝ペルシャにも見られる とても古い文様です。
「ノアの方舟はこぶね」…はとが方舟から飛び立ち、オリーブの枝をくわえて戻ってきたという伝説が起源の吉祥きっしょう文様です。

この文様はシルクロードから中国、そして日本へと伝わりました。
平安時代になると国風化して、鶴が松の枝をくわえる有職ゆうそく文様へと進化していきます。
※ 平安時代からの宮廷や公家が用いた伝統文様

詳しくは、こちらをご覧ください。
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