藤唐草(ふじからくさ)文様 〜〜「光る君へ」 まひろの衣装より

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『源氏物語』の誕生

『源氏物語』が誕生した きっかけは ?

日本の宝 …『源氏物語』。
誕生の きっかけ は、どんなものだったのでしょうか?
① 夫 宣孝のぶたかが亡くなった悲しみや不安。 式部は物語を書くことで心をいやした。
紫式部は夫が亡くなったことを悲しんでいました。
同じ頃 父が職を失い、幼児おさなごを抱え、金銭的な不安もうれいのひとつでした。
彼女は、やる方ない気持ちを自分の胸の内だけに収めることができず、物語という手法で吐き出したのです。
やがて、物語は『源氏物語』と続いていくのでした。
『源氏物語』の中で、光源氏が物語について語る場面があります。
物語にこそ様々な出来事が、歴史書以上に詳しく書き残されているのです。
物語は事実をそのまま伝える訳ではありません。
けれど、人の心の中にしまっておけない感情や出来事を、後の世まで伝え続けたいと書きしるしたこと、それが物語なのです。
ほたるの巻より

これら(物語)にこそ道々しく詳しきことはあらめー略ーその人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人のありさまの、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節ぶしを、心に籠めがたくて、言ひおき始めたるなり。

当時、物語(小説)はぞく、つまり高尚こうしょうでない文芸と思われていました。
紫式部は物語の力を見出し、その地位を高めたのです。
② 藤原道長の重要な政策の一手として
平安中期、政治の頂点に立つためには、天皇の祖父になることが重要でした。
娘を天皇の妃として入内じゅだいさせ、その娘が皇子みこを産む。
やがて、その皇子が天皇に即位すれば、外戚がいせきとして政治を主導できるのです。
※ 天皇の母方の親族
第一歩として、道長は幼い娘“彰子”を入内させました。
一条天皇は亡き皇后“定子”を偲び、彰子の元にはあまり訪れません。
定子は明るい性格で知性が高く、自然と貴族が集まり文化サロンができていました。

道長は「彰子の文化サロン」を作ろうと、 文才にひいでた女房たちを集めます。
そのうちの1人が紫式部でした。
文学を好む一条天皇をきつけるため、紫式部に物語を書くように依頼したと言われています。

長編小説を書くためには大量の和紙が必要ですが、当時、紙はとても貴重なものでした。
式部は夫を亡くした中流貴族、高価な紙を買う余裕はありません。
道長がパトロンとなり、紙を与えお膳立ぜんだてをしました。
こうして、世界に誇る文学『源氏物語』が誕生したのです。

『源氏物語』って色男の恋愛遍歴だけ?  魅力は何?

『源氏物語』は年数にして約70年間、登場人物は400人を超える壮大なスケールの物語です。
日本だけではなく、世界においても長編小説の第1号なのです。
1000年も読み継がれてきた素晴らしさは何なのでしょうか?
『源氏物語』の魅力は書き尽くせないほど沢山ありますが、一部を紹介します。
① 心の乱れなど、人物の内面の変化を丁寧ていねいに描写している

ドラマ「光る君へ」第29回の中で、まひろ(紫式部)が ききょう(清少納言)に言った言葉が説明してくれています。

人には影もあれば光もあります
人とはそういう生き物なのです
そして複雑であればあるほど、魅力があるのです


『源氏物語』には795首もの和歌があります。
紫式部は特に和歌によって、登場人物の感情の揺れを見事に表現しました。
愛の喜び、嫉妬の苦しさ、無常感…
いつの時代でも、どこの国でも共通の普遍的なテーマが登場人物を通して描かれ、私たちの共感を呼ぶのです。
② 女性の苦しさや生きづらさを初めて描写した
『源氏物語』は日本で初めて女性が書いた小説です。
・『源氏物語』が書かれた平安時代の中期は、女性が政治に参加できない
・一夫多妻制で通い婚…夫が訪ねて来なくなれば、離婚したということ。妻は不安定な立場
など、生きづらい社会の仕組みを、女性の視点から書きました。
③ 当時の宮廷の様子や儀式、貴族の生活の描写によって、平安文化のみやびを感じることができる
紫式部が女房にょうぼうとして宮中にいたことで、雅な宮廷の様子や儀式などが具体的に書かれています。
※ 部屋つきの位の高い女官で、女主人の世話や教育、話し相手をする
貴族の生活にも触れることができ、それらが美しく詩的な文で表されています。

衣装の文様について

新婚時代の“まひろ”は夫のおかげで豊かになり、高価な衣装を着ていました。
道長の妻“倫子”とは、色違いの同じ文様でした。
文様の名は「唐花丸からはなのまる」と地紋は「藤唐草ふじからくさ」です。

唐花丸からはなのまる文様

唐花丸からはなのまる文様
「唐花」とは、中国から伝わってきた空想上の花のことです。
花びらの先が3つのを描いているのが特徴です。
その唐花を円形に配置した文様が「唐花丸」。
平安時代の宮廷や貴族に好まれた伝統文様でした。

藤唐草ふじからくさ文様

藤唐草ふじからくさ文様
唐草文様の起源は とても古く紀元前、エジブト・古代ギリシア・ローマ帝国にも原型が見られます。
シルクロードを通って中国へ、そして奈良時代に日本へと伝わりました。
長い時間と距離を経て、現代まで息づいている驚きの文様です。

たくさんの花房をつけ長く垂れる藤の花、絡み合いながら どこまでも伸びていく蔦。
藤唐草文様は、「永遠の繁栄はんえい」として愛されてきました。
その名から、栄華えいがを極めた藤原氏が好んだ文様でもあります。
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