伝統文様– category –
-
伝統文様
桐文様 〜〜「光る君へ」藤原頼通の衣装より
藤原頼通は道長の長男、最愛の息子でした。25歳で摂政を譲られますが、穏やかな性格ゆえに実行力に乏しく、道長は頼通の陰で実権を握り続けました。「光る君へ」で頼通は美しい舞を披露。華やかな文様の一つは桐文様です。 -
伝統文様
毘沙門亀甲文様 〜〜「光る君へ」敦康親王の衣装より
一条天皇と定子の第一皇子“敦康親王”。本来ならば将来の天皇になるはずでした。が、その道は藤原道長に阻まれます。才能にあふれ人柄に優れていた親王は、東宮になることに固執して恨みに支配されることなく、文化に親しみ楽しながら暮らしました。愛がいっぱいの幸せな子供時代の衣装は「稲妻文様」と「毘沙門天亀甲文様」でした。 -
伝統文様
乱れ菊文様 〜〜「光る君へ」藤原娍子の衣装より
藤原娍子は三条天皇の皇后。立后の時には4人しか公卿が参列せず寂しい儀式でした。6人の子に恵まれたおかげで、彼女の法要には大勢参列したことは、しみじみと考えさせられます。彼女の思いを表すかのように、「光る君へ」の衣装は「乱れ菊文様」です。 -
伝統文様
花喰鳥文様 〜〜 「光る君へ」和泉式部の衣装より
和泉式部は恋多き女性。敦道親王との激しい恋が『和泉式部日記』に描かれています。「光る君へ」での衣装は「花喰鳥文様」。親王との恋の始まりの和歌…橘の花とほととぎすに由来しているのでしょうか? -
伝統文様
雲立涌文様 〜〜「光る君へ」脩子内親王の衣装より
脩子内親王は一条帝と定子の最初の子。若くして次々と家族が亡くなり、23歳の若さで出家。誇り高くも寂しい皇女でした。琴と書など才能豊かな女性で、出家後も母のような華やかなサロンを催しました。彼女の衣装は「雲立涌文様」です。 -
伝統文様
梅文様 〜〜「光る君へ」賢子の衣装より
紫式部の娘“賢子”は、母とは正反対の性格、明るくて大胆。でも母の文才は引き継ぎました。そして、賢子は恋の駆け引き上手。高貴な男性にモテたそうです。彼女は長生きをして、異例の出世をし、豊かで幸せな一生を送りました。 彼女の裳着の衣装は「梅文様」です。 -
伝統文様
鏡裏文様 〜〜「光る君へ」藤原惟規(のぶのり)の衣装より
紫式部の弟、藤原惟規は、明るくて 大らかな性格。姉とは正反対でした。そんな彼は「神の斎垣を越えた恋」に落ちます。恋人に逢うため、神聖な場所の垣根を越えてしまうのです。「光る君へ」の衣装は「鏡裏文様」です。 -
伝統文様
桜文様 〜〜「光る君へ」藤原公任の衣装より
藤原公任は生粋の貴公子。文学や音楽など芸術的才能に溢れる男性でした。思い通りにいかないとすぐ拗ねるし、つい余分なひと言を言ってしまいますが、皆から慕われていました。彼がドラマで着ていた衣装の文様は「桜文様」です。 -
伝統文様
桐竹鳳凰麒麟文様 〜〜「光る君へ」藤原行成の衣装より
藤原行成は書道の名人。ゆえに女性にモテました。少年の頃は苦労しましたが、運は真面目な彼の味方。道長と帝からの信頼厚く、出世しました。「光る君へ」での衣装は「桐竹鳳凰麒麟文様」。帝のみに許された文様を特別に賜りました。 -
伝統文様
花喰鶴文様 〜〜「光る君へ」藤原道長の衣装より
貴族たちは毎日を優雅に遊んでいたのでしょうか? 否、貴族たちは働き者、忙しい日々を送っていました。そして、遊ぶ時は雅に遊んだのです。「光る君へ」の中で、道長が着ていた衣装は「花喰鶴文様」です。 品格のある美しい文様です。
12